山海関の城南から4キロの渤海の浜に位置し、ここは明万里の長城の東部起点である。老龍頭は地勢が高く、有明代アザミ町総兵の戚継光が建てた「入海石城」。海に入った石城は竜頭が海に入り込み、波を舞うようなもので、「老龍頭」と呼ばれている。
老龍頭観光地は入海石城、海神殿、靖ハロゲン台、南海口、澄海楼、寧海城と浜海万里の長城の7つの部分から構成されている。
澄海楼は老龍頭の高所であり、海を見る名所である。その東西の壁には清代皇帝と文人が澄海楼の詩を詠んだ臥碑がはめ込まれており、ビル内には老龍頭の出土品と一部の党と国家指導者の題詞と題詩が陳列されている。寧海城内の校場、龍武営、将台などの軍事建築は明代の要塞の姿を展示した、完全に保存された明代万里の長城遺跡は独特の考古価値を持っている。
清朝の開国後、康熙、雍正、乾隆、嘉慶、道光は何度も老龍頭を訪れたことがあり、その中で乾隆皇帝は4回ここに来て海を見に来て、大量の詩文墨宝を残した。老龍の頭上にある「天開海岳」碑は、唐代の遺碑と伝えられており、この4文字は「空を見渡すと、蒼茫一碧、天適地に設置されている」という絶妙な景観の神韻を表している。
老龍頭に登って、波が荒く、雲水が蒼然とした海に直面して、「万里の長城は龍頭をまたいで、見渡す限り高い所から上の階に上がって、大風が吹いて日雲が奔合して、大波が空を排して雪が怒って浮く」という壮観な美しい景色を見ることができる。