【光明追想】
中国共産党党員、中国工程院士、中国科学院上海天文台総技師、元副台長の朱能鴻氏は、病気の治療が効かず、2024年3月8日に上海で死去した。85歳だった。
朱能鴻は上海で生まれた。1960年同済大学卒業。中国科学院上海天文台の高級エンジニア、副総技師、副台長、上海市科学協会の副主席を務めた。1995年に中国工程院院士に選出された。
朱能鴻は天文光学望遠鏡の専門家で、主に天文機器と方法の研究に従事している。1960年代に月の2速カメラと写真天頂筒の開発に参加した。1989年に中国初の1.56メートル天体測量望遠鏡の開発に成功し、1994年7月の彗木衝突で600枚以上の科学的価値のある写真を撮影した。1991~1993年、ヨーロッパ南方天文台で巨大望遠鏡(VLT)プロジェクトに参加した光干渉合成望遠鏡の設計は、マルチビーム入射や瞳孔追跡などの特色ある研究案を提出し、帰国後、天文光学干渉計の研究を積極的に推進した。複数の863及び国家自然科学重点基金プロジェクトを主宰し、中国の二世代ナビゲーション衛星システムなどのプロジェクトに参加した。2000年以降、設計・開発された1メートルレーザー測距望遠鏡とレーザー通信望遠鏡はいずれも使用を開始し、その後、2種類の新型の二焦点大視野大口径光電望遠鏡を開発し、いずれも関連分野で国家装備に貢献した。
中国科学院科学技術成果賞一等賞、国家科学技術進歩一等賞、及び上海市科学技術エリートなどの賞と栄誉を受賞した。
2022年3月、国際小惑星機関は紫金山天文台が発見した小惑星391996号を正式に「朱能鴻」星と命名した。(光明日報全メディア記者李苑)