【光明追想】
中国科学院院士、我が国の著名な物理化学者、中国科学院化学研究所研究員の朱起鶴氏は、病気の治療が無効で、2024年2月20日に北京で逝去した。享年100歳。
朱起鶴、1924年7月12日北京生まれ。1947年南京中央大学化学工学部卒業。1951年に米カリフォルニア大学(バークレー)化学科博士号を取得。1951年春に帰国した後、燕京大学と北京大学化学部で教鞭を執った。1952年冬にハルビン軍事工学院に異動し、長期にわたり物理教育の仕事を担当し、原子炉設計と複数のレーザー応用プロジェクトに参加したことがある。1978年初めにエネルギー物理研究所を高度化し、超伝導磁石、超伝導マイクロ波キャビティ、レーザー加速などの科学研究プロジェクトを担当した。1981年に化学所を調整し、分子反応動力学実験室の作成を担当した。1995年に中国科学院の院士に選出された。
朱起鶴は主に分子反応動力学の研究に従事している。前後して6台の国際レベルの分子ビームとレーザーを利用した大型実験装置を研究製造し、これらの装置を用いて多方面の科学研究を展開した。分子光分解の研究では、ヨウ化アルカン、ハロゲン化オレフィン、ケトン類などの分子の光分解規則を得て、ミクロ反応機構を提案した。クラスター研究において、初めて1種類の新しい水素含有炭素クラスターを発見し、筒状構造を提案した、また、一連の金属と硫黄の二元クラスタを発見し、その成分規則、安定性、光分解規則とクラスタの形成動力学などを得た。(光明日報全メディア記者李苑)