【光明追想】
九三学社の社員、中国科学院の院士、我が国の有名な血管外科専門家、首都医科大学宣武病院の汪忠鎬教授は、病気の治療が効かず、2023年11月3日に北京で逝去した。86歳だった。
汪忠鎬は、1937年7月28日に浙江省杭州で生まれ、1961年に上海第一医学院を卒業し、1961年8月に北京協和病院に就職し、入院医師、主治医、副主任医師、助教授を歴任し、1979年から1981年にかけて米国デューク大学、北カロライナ大学を訪問学者とし、1986年に北京安貞病院に転入し、主任医師、血管外科主任は、1991年に北京医科大学第8臨床学院に転入し、血管研究所所長、教授、博導を歴任し、2000年に浙江大学第1病院に転入し、2004年に首都医科大学宣武病院に転入した。2005年に中国科学院の院士に選出された。
汪忠鎬は我が国の血管外科の創始者と開拓者の一人であり、我が国の血管外科事業を国際に導く先駆者である。彼は終始患者の苦しみを心に置き、ブガ症候群、大動脈炎の深刻な脳虚血に対して多種の術式と全方位診療システムを創建し、世界各国に採用された、人工血管及びステント型人工血管の国産化研究と臨床実践に最も早く力を入れ、中国大動脈疾患の低侵襲治療時代を切り開いた、中国ではまず胃食道逆流症の多学科合同診療を提案し、展開した。
「医者として、実は患者に対して誠心誠意でなければなりません。私は患者を水火の中で救いたいと思って、私の努力を尽くして、他の2つ目の考えはありません」何度も患者の感謝に直面して、彼は答えた。(光明日報全メディア記者李苑)