【光明追想】
中国工学院院士、我が国の熱エネルギー工学分野の先駆者と創立者、ハルビン工業大学元副学長、エネルギー科学・工学院教授の秦裕傑氏は、病気の治療が効かず、2023年11月13日にハルビンで死去した。享年90歳。
秦裕琨は、1933年5月に上海で生まれ、1953年に交通大学を卒業し、同年に教員大学院生としてハルビン工業大学の大学院に入学し、学びながら教鞭を執り、1954年に先頭に立って新中国初のボイラー製造学科を創設した。1981年11月に中国共産党に入党。2001年に中国工程院院士に選出された。
秦裕琨同志は長期にわたり石炭の高効率クリーン利用方面の技術と工事研究に力を入れ、我が国初の自然循環熱水ボイラーを設計製造し、劣悪な石炭流動床ボイラー燃焼技術、大型石炭燃焼発電所シリーズ「風包粉」濃淡石炭粉末燃焼技術及び装備、安全低汚染石炭粉末燃焼技術及び装備などを発明し、技術成果は国際トップレベルに達し、国の石炭の安全、高効率、クリーン利用に際立った貢献をした。「やるなら人にはできないことをやり、かじるなら人にかじられても動かないことをかじる」「為すところがあって、求めるところがない」「成果の転化は常に国民経済の主戦場をめぐる」……これらは秦裕傑がよく口にする言葉であり、さらに彼が科学研究報国の道を進む方向である。(光明日報全メディア記者の張士英、李苑)