【光明追想】
中国工程院院士、国際的に著名な環境工学者、中国科学院生態環境研究センター研究員の湯鴻天氏は、病気の治療が効かず、2022年12月16日に北京で死去した。91歳だった。
湯鴻天は、1931年10月4日に河北省徐水県で生まれ、1950年1月に中国共産党に入党し、1958年9月にハルビン工業大学を卒業し、1959年にハルビン建築工学院で教鞭を執り、1977年に中国科学院生態環境研究センターに就職した。国家環境保護総局科学技術顧問、国家環境諮問委員会委員、中国科学院生態環境研究センター学術委員主任、環境シミュレーションと汚染制御国家重点連合実験室学術委員会主任を務めた。
湯鴻天は我が国の環境水質学学科の開拓者であり、長期にわたり環境水質学、環境工学と用水廃水処理技術などの分野の科学研究と教育に従事している。アザミ運河の水銀汚染、湘江カドミウム汚染、POYANG湖の銅汚染などの重金属形態、評価及び管理研究に従事し、率先して環境マイクロ界面の水質過程と表面錯体計算モードの研究を展開し、無機高分子凝集理論と凝集剤の研究開発においてシリーズ突破を獲得し、我が国初の重合塩化アルミニウム現代化生産工場の設立及び安定化重合塩化鉄技術の設立を主宰する。国家自然科学二等賞、国家科学技術進歩二等賞、何梁何利賞、中国科学院自然科学一等賞などを受賞したことがある。
自分の科学生涯を振り返った時、湯鴻天は「どんな条件の下でも私はいつも人の後に甘んじず、一生懸命に奮闘して、力を尽くして前に進んで、堕落していない」と言ったことがある。
(光明日報全メディア記者李苑)