【光明追想】
光ファイバー通信の専門家で、中国工程院院士、華中科学技術大学博士指導教員の趙梓森氏は、病気の治療が効かなかったため、2022年12月15日に武漢で91歳で逝去した。
趙梓森は、1932年2月に上海市で生まれた。1953年上海交通大学電信学部卒業。1995年に中国工程院院士に選出された。武漢郵電科学院研究院の総技師、武漢郵電科学院研究院の副院長、武漢郵電科学院研究院の高級技術顧問、湖北省科学技術協会の副主席、国家科学委員会光ファイバー通信専門家グループの全体チーム長などの職務を務めた。
趙梓森は我が国の光ファイバー通信技術の主要な創立者と公認の開拓者である。彼は我が国初の実用型石英光ファイバーを「引き出した」、我が国の光ファイバー通信技術方案を創立した。彼は技術のリーダーである武漢郵科院は、我が国初の光ケーブル通信プロジェクトと全国を結ぶ光ファイバー通信回線を建設し、我が国の光ファイバー通信がハイテク技術の中で国際先進レベルとの差が最も小さい分野の一つになるために優れた貢献をし、「中国光ファイバーの父」と誉められている。彼はまだ「中国光谷」の主要な提唱者であり、さらに「中国光谷」の推進者でもある。
趙梓森氏は生涯を通じて科学研究の分野で「走る」ことになり、「技術は永遠に絶えず発展しており、われわれは急いで推進しなければ、人に後れをとることになる。中国の現在の光ファイバは、世界の光ファイバ市場の半分を占めている。次は、新しい材料を使って、より高いレベルの光ファイバを作り、世界をリードし続けなければならない」と常々語っている。
(光明日報全メディア記者李苑)