【光明追想】
中国科学院院士、建築学者、建築教育家、天津大学教授の彭一剛氏は、病気の治療が効かず、2022年10月23日に天津で死去した。90歳だった。
彭一剛、1932年9月3日安徽合肥生まれ。1950年に北方交通大学唐山工学院(現西南交通大学)に入学し、その後唐山工学院建築学部に従って北京鉄道学院(現北京交通大学)に調整し、1952年に天津大学に調整入学し、1953年に天津大学土木建築学部建築学科を卒業し、後に学校に残って教員を務めた。1983年に教授に昇進し、1986年に博士課程の指導者に就任した。1987年11月に中国民主同盟に加盟した。1995年に中国科学院の院士に選出された。
彭一剛は長期にわたって建築美学及び建築創作理論の研究と実践に力を入れ、古典美学の構図原理、現代建築空間の組み合わせ規則及び現代西洋建築の審美変異などの分野で、非常に系統的な研究を行った。彼は長年にわたり教育現場で人を教育することを堅持し、博士、修士60名余りを前後して育成し、我が国の建築分野に多くの優秀な人材を送った。山東省威海市劉公島甲午海戦記念館、天津大学建築館、王学仲芸術研究所、天津水上公園パンダ館、山東省平度市公園などの建築作品の設計を主宰し、天津大学北洋園キャンパスの計画設計に重要な貢献をした。
彭一剛は生涯革新を提唱したが、彼はよく言った、いわゆる巨匠の作品とは、往々にしてしっかりとした基礎と基礎の上に深く植えられて、最終的に革新に勝っている。(光明日報全メディア記者李苑)