【光明追想】
我が国の感光材料専門家で、中国工程院の鄒競院士は、病気の治療が効かず、2022年6月9日に天津で86歳で逝去した。
鄒競、1936年2月上海市生まれ、本籍は浙江平湖。1960年にソビエト連邦レニングラード映画工学院を卒業し、技術エンジニアの学位を取得した。中国楽凱集団有限公司研究院の首席専門家、教授級高級エンジニアを務め、天津大学化学工学院教授、博士指導教員を兼任した。1994年に中国工程院院士に選出された。
鄒競は長期にわたり感光材料と機能性フィルム材料の研究と新製品の開発に従事し、そして多くの研究成果を得た。1960年代に当時の国防軍需産業が必要としていた3種類の特殊赤外線フィルムの開発に成功し、国内の空白を埋めた。70年代から、相前後して三世代楽凱カラーフィルムの開発を主宰し、国産カラーロールを無から有にし、品質を90年代初めの国際先進レベルに近づけ、著しい経済効果と社会効果を得て、我が国の民族感光材料工業の発展に際立った貢献をした。21世紀に入ってから、汎用型医療用感緑X線フィルム、医療用ヘリウムネオンレーザー映像フィルム、医療用赤外レーザー映像フィルム、及び銀塩法透明導電膜と太陽電池背膜などの機能性フィルム材料を相次いで開発した。
我が国はカラー感光材料の製造技術を持つ4番目の国であり、この成果は長年の勤勉な研究から離れられない。私はずっと、中国人は自力更生で原子爆弾、水爆を開発できる以上、必ず自分の力に頼って、世界のブランド品に匹敵するカラーフィルムを開発、生産できると信じています。」(光明日報全メディア記者李苑)