【光明追想】
国際的な著名な力学者、我が国の爆発力学の創始者と開拓者の一人、我が国の力学学科の建設と発展の組織者と指導者の一人である鄭哲敏院士が逝去した
中国科学院院士、中国工程院士、国家最高科学技術賞受賞者、中国科学院力学研究所研究員の鄭哲敏氏が、病気の治療が効かず、2021年8月25日に北京で死去した。97歳だった。
鄭哲敏、1924年10月2日山東省済南市生まれ、浙江省寧波出身。1947年に清華大学を卒業し、学士号を取得した。1949年と1952年にそれぞれ米国カリフォルニア工科大学で修士号と博士号を取得した。1980年に中国科学院学部委員(院士)に選出された。1994年に中国工程院の院士に選ばれた。
鄭哲敏氏は早年、熱応力、振動と水弾性力学、地震工学力学の研究に従事し、力学理論を用いて工事の実際問題を解決することを得意とし、流体弾塑性体モデルと理論を提出した。1964年に「爆発成形メカニズムと応用」が全国工業新製品展覧会の一等賞を受賞し、1982年に「流体弾塑性モデルとその原爆と穿孔甲における応用」が国家自然科学二等賞を受賞し、1990年に「爆発処理水中軟基」が国家科学技術進歩二等賞を受賞し、1993年に陳嘉庚技術科学賞を受賞した。
鄭哲敏は銭偉長と銭学森に師事したことがあり、銭偉長は「私の最高の学生の一人だ」と言った。鄭哲敏も期待に背かず、2人の先生の祖国への愛、科学への追求、事業への執着を受け継ぎ、一生「第一流の仕事をする」ことを提唱し、身を挺した。彼は「私は過去から今まで歩いてきたが、はっきりしたルートはない。しかし、一つ確実なことは、富国強民の願いだ」と言った。(光明日報全メディア記者李苑)