【光明追想】
京劇演技芸術家、教育家、国家級無形文化遺産プロジェクト(京劇)の代表的な伝承者、国家京劇院芸術指導委員会顧問、一級俳優、中国戯曲学院栄誉教授の劉秀栄氏は、病気の治療が無効で、2021年6月28日に北京で86歳で逝去した。
劉秀栄は、1935年に北京に生まれ、浙江省紹興に本籍を置いた。1949年に革命に身を投じ、開国大典デモに参加したことがある。1950年に文化部戯曲改良局戯曲実験学校に転入し修業を続けた。1951年に戯曲実験学校に参加して抗米援朝のために飛行機義演を寄付し、前後2回北朝鮮に赴き中国人民志願軍と朝鮮人民軍を慰問した。1956年に卒業後、中国戯曲学校実験京劇団に配属され、l 965年に北京京劇団に配属され、その後、中国京劇院に配属された。
劉秀栄は新中国で育成された初代芸術家であり、国家京劇院が上から下まで受け継いだ大黒柱であり、王(瑶卿)派の芸術を伝承・発揚し、旦行芸術を革新・発展させた名家であり、京劇の演技と教育に歴史的な貢献をした。劉秀栄は京劇旦行一代の宗師王瑶卿真伝を得て、1950年代以来、京劇王(瑶卿)派芸術の最も重要で、最も優れた伝承者と発揚者と公認された。彼女は衆長を博し、多くの師に転じ、また尚小雲を師とし、同時に梅蘭芳、荀慧生などの先輩に就職し、青衣、花旦、花衣、刀馬旦は一通の不通もなく、京劇旦行のすべての分岐点をほぼ網羅し、『白蛇伝』『穆桂英大戦洪州』など数十本の新演目を創作、演出した。中国劇協から「新中国演劇に従事して60年」の栄誉証書を授与されたことがある。
劉秀栄氏は、「私は京劇事業に従事して75年、入党して42年、京劇は私の初心であり、京劇芸術を伝承、発揚することが私の一生の使命である。私は一生の熱血を京劇に注ぎ、命を守るようにそれを守り、振興し、革新を守り、実際の行動で党と人民に報いる」と述べた(光明日報全メディア記者の李晋栄氏)。