【光明追想】
中国工程院院士で中国鉱業大学教授の陳清如氏は2021年5月26日、病気の治療が効かず、徐州で95歳で死去した。
陳清如氏は、1926年12月3日に浙江省杭州市で生まれ、1948年から1952年まで唐山交通大学に学び、1959年から1960年までモスクワ鉱業学院に研修し、唐山交通大学、中国鉱業大学に勤務した。1995年に中国工程院院士に選出された。
陳清如は我が国の有名な鉱物加工専門家、教育家、鉱物加工学科の創立者と開拓者の一人である。長期にわたり選鉱理論と技術研究に力を入れ、彼は我が国初の重媒体旋回器末炭選炭工場の設立を主宰した、指導研究は我が国初の篩下空気室ジグ跳び機を設計した、世界初の石炭用確率分級篩を開発した、「空気重媒体の安定流動化」の選鉱理論と技術を創建し、そして世界初の空気重媒体流動化床乾法選炭モデル工場を設立し、我が国の鉱物加工分野の科学研究、教育事業に卓越した貢献をした。国家科学技術進歩二等賞2項、国家技術発明三等賞1項など省部級以上奨励13項を受賞した。全国の「メーデー」労働褒章、全国の優秀な教育関係者の称号と国際石炭選択大会で初めて設立された「生涯成果賞」を受賞した。
陳清氏はいつものように学生に言った。「学問をするには天に向かって立つ必要がある。天に向かって、国際の最前線に立って、世界の一流をねらう必要がある。地に立つには、業界と産業の需要を結びつけて、我が国の重大な問題を解決しなければならない」(光明日報全メディア記者李苑)