北京協和病院は6月23日、中国共産党党員で我が国の眼科公衆衛生学の創始者で眼科教育家、北京協和病院眼科元主任の趙家良氏が、病気の治療が効かず、2024年6月23日10時44分に79歳で死去したと訃報を発表した。

北京協和病院の公式科学普及プラットフォーム、微信公衆番号「協和医師説」が6月23日に発表した「趙家良教授の生涯」によると、趙家良は1944年10月に江蘇省啓東市で生まれた。1970年に中国協和医科大学(現北京協和医学院)を卒業し、陝西省高陵県末端病院を主宰した。1978年に中国協和医科大学に戻り、修士号を取得した。北京協和病院眼科主治医、助研究員、副主任医師、主任医師を歴任した。1994年5月から、北京協和病院眼科副主任、主任及び中国医学科学院眼科研究センター主任などの職務を担当した。2000年から第7回、第8回中華医学会眼科学分会主任委員、防盲学グループ長、第9回中華医学会眼科学分会前任主任委員、『中華眼科雑誌』編集長、中国障害者連合会リハビリテーション協会副理事長、中国医師協会理事、中国医師協会眼科医師分会会長及び視覚障害防止委員会主任委員。2004年には前後して国際眼科科学院院士、アジア太平洋眼科学会理事会理事、国際眼科理事会理事、アジア太平洋眼科学会副主席及び防盲委員会主席に選出された。2011年から北京医師協会眼科医師分会会長に就任した。2018年に国際眼科科学院副主席などに選出された。

「趙家良教授の生涯」によると、趙家良教授は我が国の眼科公衆衛生学の創始者であり、中国眼科及び国際眼科界の傑出した指導者、眼科教育家である。北京協和病院の元眼科主任、中国医学科学院の元眼科研究センター主任。教授、博士課程大学院生指導者、前中華医学会眼科学分会主任委員、前『中華眼科雑誌』編集長、国際眼科科学院初の中国院士、我が国初の国際眼科科学院副主席。