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王継才、王仕花夫妻:島を守るのは国を守ることだ
発表日時:2021-06-21ソース:新華社

王継才(1960〜2018)、王仕花夫妻(資料写真)。新華社発

映画「島を守る人」がこのほど、全国で公開された。映画は「人民の模範」である王継才同志の先進的な事跡を取材し、王継才、王仕花夫妻が32年間、一日のように開山島を守ってきた実話を深く語り、夫婦情、親子情、戦友情を表現し、「島を守ることは国を守ることである」という国の気持ちを立体的に表現した。

王継才は生前、江蘇省灌雲県開山島民兵哨所所長だった。1986年7月14日、軍人コンプレックスを持った王継才は、王仕花に内緒で開山島に入隊する「苦役」を受けた。夜になると、暴風が島を襲い、顔を覆った。島に上陸する前に、10人以上の民兵守島に4回来たことがあり、最長で13日間しか滞在していなかった。

8月30日、王仕花は開山島に登って、彼女の「行方不明」の夫を探したが、ひげをひそめて臭気に満ちた「野人」だけを探していた。「他の人は守らない、私たちも守らない!」王仕花は夫に言った。

開山島は陸地から12海里あり、祖国の海上東大門である。小島はサッカー場が2つしかなく、戦時中は兵家が必ず争う黄海の前哨、戦略の要衝であり、誰かが見守らなければならない。「行くぞ、残ることにした!」王継は妻を船に乗せた。

一ヶ月もたたないうちに、王仕花は教師を辞め、娘を姑に預け、小包を持って、また島に行った。それから、彼は島を守って、彼女は彼を守って、王継才の命の最後の一息まで。32年、1つの水蔵、3匹の子犬、4つの航路標識灯、数十本の歪んだ苦い木、200面以上の古い国旗が、彼らの島を守る歳月を構成している。

王継才夫妻が毎日やっている最初のことは、島に五星紅旗を掲揚することだ。

誰も国旗を掲揚させなかったが、王継才氏は、この島で国旗を掲揚することが何よりも重要だと認定した。「国旗を掲揚することは、世界中に知らせることだ。ここは中国の土地だ。誰も私たちをいじめたくない!」

ある時、台風が襲来し、国旗を守るために、王継は17段の階段を踏み外し、肋骨を2本折ったが、手にはその国旗をしっかり抱いていた。「守島は何年も前から、開山島は私の家だった。もし何かあったら、私を島に埋めて、一生国旗に付き添わせて!」

開山島は石の山で、上には水がなく、電気がなく、食糧がなく、いくつかの破営房しかない。地元の人は、上で生きるのは難しい、守ることは言うまでもないと言っています。夫婦は萎縮していない。水がなくて、彼らは水蔵にたまった雨を飲みます。電気がないので、彼らは夜にろうそくを灯します。食糧はなく、島で野菜を作り、魚を取り、長女を岸で「補給隊長」にし、時々買い物をして漁民に頼んで運んでもらう……

島の家は頑固で頑固で、岸の家も苦労して支えている。王継才夫妻は島にいて、3人の子供は岸に残るしかない。夏の夜、蚊取り線香が蚊帳に火をつけ、3人の子供がやけどをしそうになった。ニュースを知って、王継はやっと心を鬼にしたが、彼は歯を食いしばって、依然として下島していない。彼らにとって:島を守ることは国を守ることであり、島を守ることも家を守ることである。

夫婦二人にずっと守るように命じた人はいないが、一度も離れることを提案したことはない。その30年余りの間、多くの誘惑とチャンスがあった。密輸犯は王継才と利益を分けなければならず、蛇の頭は彼に威嚇したり、蹴ったりして、彼は動揺していない。岸の経済発展は盛んで、改革開放は周辺の人々を豊かにし、彼らは離れなかった……

一年また一年、守島は、「期限付き任務」から「生涯の使命」に変わった。

2018年7月27日、過労で病気になった老民兵の王継才は、開山島の階段に倒れた。王継才は「全国優秀共産党員」の称号を追叙され、2019年には「人民の模範」という国家栄誉称号が授与された。王継才、王仕花夫妻は「最も美しい奮闘者」「時代の模範」「全国愛国軍擁護模範」などの称号を獲得した。

彼が倒れた場所では、妻の王仕花と新しく来た民兵たちが守っていた。

42歳の顔兵は第3陣の守島民兵の一人だ。「王継才守島衛国の感動的な事績は私たちの地元で大きな影響を与え、私は深く感銘を受け、守島に応募した」と顔兵氏は、島で王継才夫妻が島で生活している孤独と寂しさを体得し、彼らの心の責任であり、堅持してやっと30年以上の堅守を完成したと述べた。

2020年11月2日に島に上陸してから、国旗が掲揚されるたびに、顔兵は「島を守ることが国を守ることだ」という意味を深く感じている。

責任編集:梁海燕
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