鞖安年-中国文明網
名前: ペ・アン年
事跡:老館長傾情文博事業40年洪沢湖堤防の世界文化遺産登録を推進
カテゴリ:職業に奉仕する
省:江蘇省
時間:2024年第1四半期「中国いい人ランキング」
発表日時:2024-03-13ソース:職業に奉仕する
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鞖安年、男、1954年10月生まれ、中国共産党党員、江蘇省淮安市洪沢湖博物館元館長。鞖安年は40年来文博事業に身を投じ、洪沢湖堤防の調査研究と文化財保護に専念し、洪沢湖文化の「生き字引」となった。引退後も文博の職を守り、洪沢湖堤防の文化研究と伝承に従事した。鞖安年は全国文化システム先進工作者、江蘇省無形文化遺産先進個人、「江蘇善人」などの栄誉を獲得したことがある。

  「信」の字は本文のために文博の知識を研鑽する

鞖安年は文博科班の出身ではなく、洪沢蔣堰鎮農具工場の労働者だった。改革開放後、洪沢氏は文化財管理委員会を設立し、文博の仕事に専門家を置くことを決定した。当時、責任感の強かった鞖安年が選ばれ、文博の仕事と縁を結んだ。その後2年間、ペ氏は文博の仕事の専門知識を学びながら、各郷・鎮の文化遺留分布の状況を全面的に調査した。

彼はいつも標本袋を背負って、洪沢の田舎のあぜ道を徒歩で歩き、地元の村人でさえ足を踏み入れることが少ない荒れ果てた孤灘に、考古調査の足跡を残している。カンフーは心のある人ではなく、発見された新石器時期の遺留を調査し、地元で以前に記録されていた人類の生活年代を2000年以上前に進めた。1991年に鞖安年は自分の考古調査状況を『洪沢県考古調査要点』と書き、1992年に『江蘇洪沢県考古調査要約』を書き、彼の調査成果は洪沢文博ファイルの空白を埋めることに成功した。

  「苦」の字は文博事業に傾倒するために用いられる

洪沢湖の堤防は大運河の重要な節目であり、70キロ以上もの長さがあり、我が国の水利史上の奇跡である。40年来、鞖安年は70キロ以上の堤防を徒歩で400回以上調査研究を展開し、夏は日焼けして皮を脱ぎ、冬は凍えて手を破った。彼は洪沢湖堤防の石刻と石刻の位置と内容を記録しただけでなく、これらの石刻と石刻のために完全な記録ファイルを構築した。彼が見つけた1945年淮宝県が立てた「民生保護安全碑」は、赤色教育類石刻の歴史的空白を埋めた。

ペ氏は人生の大部分を洪沢湖堤防の研究と文化財保護に費やした。2009年、第3回全国文化財調査活動の中で、彼は同僚たちを率いて文化財調査を展開し、全市の調査活動の開始現場は洪沢で開催され、全市の調査検収現場はまた洪沢で開催され、準備された各検収文書の資料は、全市の調査検収の手本として、各県区に配布され、現場のデモを行い、検収は一度に通過し、検収に参加した省、市の指導者、専門家及び各県区の同業者から十分な肯定と高い評価を受けた。同時に、ある文保機関は江蘇省から十大新発見文物点の一つに選ばれ、洪沢湖畔の「宝を掘る人」、洪沢湖文化の「生き字引」と呼ばれている。

  「守」の字は文博の持ち場に集中するために

長い間、鞖安年は「責任」という字を心に刻んできた。洪沢湖の堤防の歴史文化を人々に解読するために、鞖安年は大量の典籍資料を調べ、洪沢湖に関連する古代詩文だけで600編以上を集め、詩ごとに注釈をつけた。現在、その中の400余編の詩文を編集して出版しており、長年にわたって洪沢湖堤防の調査研究、収集した石刻拓片などを編集して出版している。文博の仕事に従事して40年来、ペ安年の仕事日記は20冊以上あり、文字を20万字以上記録している。彼はまた、自分が所蔵している100点以上の石刻拓片を洪沢湖博物館に無償で寄贈し、そのうち22点の石刻拓片は2019年に南京博物院が編纂した「大運河碑刻集(江蘇)」に収録された。

現在、ペ氏は体や年齢などの理由で40年間働いてきた文博の職場を離れているが、文博事業に対する研究や関心を減らすことはなく、文博事業の発展に献策している。(責任編集:周勝武楊夢媛)