1月21日
/重要な論述/
1949年1月21日毛沢東氏は中共報道官名義で南京行政院の決議に対するコメントを発表した。コメントは、南京行政院のこの新しい提案には理由がないと指摘した。こんなに長く大和のような残酷な戦争をして、双方が人を派遣して平和の基本条件を検討し、双方が合意した停戦協定を作ってこそ、戦争は止まることができる。人民がこのような希望を持っているだけでなく、国民党側もこのような希望を示している人が少なくない。南京行政院の理由のない「決議」に照らして、停戦を先行しなければ和平交渉をしたくないなら、国民党の平和的誠意はどこにあるのだろうか。南京行政院の「決議」は作られたもので、停戦を先行しなければ和平交渉の可能性はなく、平和の門はこれから閉ざされてしまうが、交渉するならば、この理由のない「決議」を取り消すしかなく、両者は必ずその1人になる。南京側に誠意があれば、なぜ平和の具体的な条件を検討したくないのか。南京の平和提案は虚偽であるという論断は、すでに実証されているのではないか。
/党史回顧/
1922年1月21日-2月2日共産国際はモスクワで極東諸国の共産党及び民族革命団体の第1回代表大会を開催した。大会に出席したのは中国、朝鮮、日本、モンゴルなどの代表だった。大会には中国共産党、中国社会主義青年団、中国国民党及び中国の労働者、農民、学生、女性などの革命団体の代表が参加した。大会は各帝国主義国家の極東での利益を調和させるために行われたワシントン会議の反動的実質を暴露し、極東諸国人民の革命闘争の展開状況と経験を総括した。大会はレーニンの民族植民地問題に関する理論に基づいて、抑圧された民族が直面している反帝反封建の歴史的任務を明らかにした。会議期間中、レーニンは病気を抱えて中国の一部の代表と会見し、中国の労働者階級と革命人民が一致団結し、中国革命の前進的発展を推進するよう激励した。