1月20日
/重要な論述/
1939年1月20日毛沢東は『持久戦について』の英訳本のために序文『抗戦と外国人援助の関係』を書いた。序文:上海の友人は私の『持久戦について』を英語の本に訳しています。私は聞いてもちろん喜んでいます。偉大な中国の抗戦は、中国だけのことではなく、東方のことも、世界のことでもあるからです。もし私の本のために、中国の抗日の真相を理解するために中国に同情する人々を与えることができれば、もちろん私の希望です。現在、日本はその戦略的攻撃を終えて戦略的保守に移ることを余儀なくされているが、私は断固とした抗戦と力の増加によって自分の戦略的退却(主力軍、ゲリラではない)を終えて戦略的に相持することになり、このような局面が到来しそうだ。中国は偉大な抗戦の中で、基本的に自力で敵に勝ち、中国の力も発動しており、勝つことのできない力になるだけでなく、敵を圧倒して追い払うことになる。これは疑いの余地がない。しかし同時に、外国人援助の協力が必要であり、我々の敵は世界的な敵であり、中国の抗戦は世界的な抗戦であり、孤立戦争の観点の歴史はすでにその不正確さを指摘している。
/党史回顧/
1924年1月20日〜30日に孫中山の主宰の下で、中国国民党は広州で第1回全国代表大会を開催した。大会は共産党員が起草に参加した、反帝反封建を主な内容とする宣言を採択し、連合ロシア、連合共、農工支援の3大政策を確定し、それによって旧三民主義を新三民主義に発展させた。大会選挙には李大ザオ、譚平山、毛沢東、林伯渠、ナデシコなど10人の共産党員を委員と候補委員とする国民党中央執行委員会が選出された。続いて国民党中央党部を改組し、共産党員は国民党中央組織部と農民部の部長を務め、労働者部も実際に共産党員が指導した。その後、全国の大部分の地域は共産党員と国民党左派を中堅として各級国民党党部を改組または設立した。このようにして、国民党はブルジョア階級的な政党から労働者、農民、都市の小ブルジョア階級、ブルジョア階級の民主革命連盟に転換し始めた。